丸亀城下町の暮らし方講座 第1回の記録

昭和の住宅から学ぶ

日時:2017年1月22日 14:00〜16:00

会場:シロシタラボ
主催:シロシタラボ、都市環境デザイン会議四国ブロック
講師:戸塚元雄(戸塚元雄建築設計事務所)
 
昭和は日本の住宅がもっとも大きく変化した時代です。 
戦後間もない1950年代には現代住宅の先駆けとなる試みが幾つも現れました。
物もお金も乏しい中で住宅は小さなものしかつくれなかったけれど、そこには「新しいライフスタイルを求める強い意思」と「斬新な工夫」が詰め込まれています。 
講座では、当時の代表的な住宅を取り上げ、今に活かせるヒントを探ると共に、丸亀城下町に多く残る住宅や建築の価値を考えてみました。


④ 試作・小住宅/設計・白井晟一

 
 白井さんが設計したこの住宅は、一見すると日本の伝統的住宅のように見えますが、注意深く見ると過去のどの時代にもない独特のスタイルを持つことが分かります。

竣工:1953 年(48 歳)
所在地:東京都世田谷区
構造:木造平屋
床面積:49 平方メートル(15 坪)
家族構成:単身者(大学入学のために上京した秋田出身の女性)


写真は、住宅建築1996年11月号(建築資料研究社)掲載写真をスキャニングしたものです

外観

  • ・内外共真壁工法だが土壁ではなく乾式工法(真壁式大壁と呼んでいた)
  • ・瓦葺きを使わず鉄板葺き。斎藤助教授の家、H氏の住まいと同様、屋根勾配を2寸5分と緩くして軒を低く長く延ばす
  • ・全体の高さが著しく低い。玄関軒先に手が届く
  • ・立面はモンドリアン風。視覚効果を重視している

図面は、住宅建築1996年11月号(建築資料研究社)掲載図面をスキャニングしたものです

内観・平面

  • ・住宅と言うよりは「禅寺」のような禁欲的空間
  • ・一室空間を意識し、狭さを空間の一体化で補う。斎藤助教授の家、H氏の住まい、立体最小限住宅と同じ試み
  • ・「一室化と個室化の共存」という複雑で矛盾する空間処理
  • 和室と板の間の境に建具はなく、斎藤助教授の家、H氏の住まいに比べて一室化はより徹底しているように見える。しかし一方で壁の配置や床高、天井の変化等によって和室の独立性を保とうとする矛盾した意思が感じられ、それがこの住宅を分かりにくいものにしている。
  • ・天井は7尺2寸(2.18m)と極端に低い
  • ・和室の手法を使うが昔からの「決めごと」には従わない
    • …伝統的な棹縁天井や廻縁を使わない
    • …鴨居見付寸法は僅か5分
    • …障子の巾は大きいが内法高は守る。組子寸法、割付けが独特

 

なぜこういう住宅をつくったか

 白井さんは戦後の支配的な風潮(アメリカンライフ、モダニズム)に懐疑的でした。ドイツ哲学に強い関心を持ち、戦前のヨーロッパで暮らした経験を持つ白井さんは、戦争から解放された若い建築家のように楽観的にモダニズムに飛びつくことが出来なかったのでしょう。日本人の生活意識が簡単に変わるとも思っていなかったし、日本の建築文化に対する深い知識と信頼がありましたから、一見古い表現を用いながら慎重に新しい生活の場を探っていたのだと思います。この時期の白井さんの立場はアメリカにおけるF.L.ライトの立場に似ています。ライトもナチスを逃れてドイツからアメリカに渡ったモダニズムの建築家(グロピウスやミース)の仕事を嫌っていました。

    • 注)このあたりの事情はアメリカのノンフィクション作家トム・ウルフの「バウハウスか  らマイホームまで」を読むとよく分かります。磯崎新さんは建築を学ぶ人の必読書として谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」と共にこの本を挙げています。

 

この時期の白井住宅

◉白井さんのコメント
 『けれど戦後は何しろ悠長なことをいってはおられない時期でした。ローコストは、絶
対条件ですし、百平方米のスケール、いわば最小限住宅の需要に対して建築家は、それぞれの夢や、個性的なものを揚棄しながら、どう対応してゆくか、またゆけるかというのが最大の課題だったのです。』
 『市場規格の四寸角、十尺(3m)の桧芯持ち柱、同材二間もの(4m)で土台・桁・梁の主体構造を、単ほぞ・帯鉄でつなぎ、やっぱり四寸角二つ割の垂木構造の小屋に鉄板28 の瓦棒屋根をのせました。間柱は同寸の杉材四つ割尺五寸。真壁式大壁はこうした配材から自然にでてきたものです。それでパイプ・スペースと通気インシュレーションの二重壁になるわけです。ささやかでもこの発想と展開については、いまでも自ら慰めるに足るものだと思っています。それから杉四寸角二つ割の垂木は軒出を一米二、三〇糎位に深くすることが出来、だいたい二寸五分という緩勾配で、私のローコスト小住宅の構成は出来上がりです。そういう時期がいくらかゆるんできてからも、私の小住宅に対するたてまえは変わることはありませんでした』(建築評論家・神代雄一郎との対談「木のはなし」)
 
 これは試作小住宅について語ったものではありませんが、白井さんの初期木造住宅を知る上で見逃すことが出来ない証言です。白井さんに惹かれる人達は、独特な空間・形態表現に目を奪われ、それがどういう意図と方法によって作られたものかを見落としがちです。勿論、白井さんは規格材使用を目的としたわけではなく、建築表現というものが材料と構法抜きには成り立たないという当たり前なことを語っているに過ぎないのです。
 
 白井さんは常に規格材を使っていたわけではありません。この人は住宅設計を始めた早い時期から山に入り、原木選びから、製材、木取りにまで関わっていて、市場に流通している規格材を使った仕事は戦後のある時期に限られています。
 

    •  ※『私は白井作品の木造住宅を作る時に木材の手配を引き受けたことがあるが、寸法書を受け取った業者はこれは全部原木から製材しないととれないものばかりだといって閉口していた。』(水原徳言:「縄文的なるもの・白井晟一の建築と人」より)

 
 白井さんのこの時期の住宅群は、明瞭な目的意識とそれを実現させる周到な準備の下に設計されています。これは白井さんに限ったことではなく、当時の設計者の誰もが多かれ少なかれやっていたことです。レーモンドの小径丸太と合板の住宅も、感性だけから生み出されたものではありません。
 
 私たちが当時の設計者から学ぶべきことは、彼らの建築表現よりも「目的の明確さ」とそのために用いた「方法の具体性」でしょう。現代には戦後とは違う問題と条件があるので、それとの関わりなしに白井やレーモンドの表現を真似ても意味がないのです。


建築家のプロフィール

  • ・建築家の枠には納まらない「異端の建築家」と呼ばれた人。世代を超えて心酔する人が多い
  • ・古今東西の文化に精通。「哲学者」「文筆家」「書家」としても有名
  • ・独特・難解な文体でたくさんのエッセイを残している
  • ・建築は独学で身につけた
  • ・地方(秋田、群馬、長崎)での仕事が多い
  • ・木造住宅は50 年代~60 年代に集中
  • ・最近再び注目され関係書籍が出版されている
  • ・他の4 人と比べて独特な存在だが、戦後住宅を語るうえで外せない人

 
 


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昭和の住宅から学ぶ もくじ

はじめに LinkIcon
① 斎藤助教授の家/設計・清家清 LinkIcon
② コアのあるH氏の住まい/設計・増沢洵 LinkIcon
③ 立体最小限住宅/設計・池辺陽 LinkIcon
④ 試作・小住宅/設計・白井晟一 LinkIcon
⑤ 栗の木のある家/設計・生田勉、宮嶋春樹 LinkIcon
1950年代の住宅が残したもの LinkIcon